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久しぶりに祖父母に会いにいった思い出

今日は一年半ぶりに母方の祖父母の家へ行く。
去年の正月、祖母の七十九歳の誕生日以来だ。

しばらく会わないあいだにわたしはずいぶんと髪が伸びて毎日メイクをするようになり、ド原色の服だって着るようになった。

まあ少しは垢抜け、年相応のお姉さんになれただろう。

休みだけどいつも通りにウルフカットの髪を整え、パイングリーンのボトムスを履き、お気に入りのシルバーアクセを身につける。

最近よく使っている小さなバッグに財布とスマホと定期だけ入れ、普段より一時間遅く家を出た。

電車を乗り継ぎ、今日は少し遠いとこまでお出かけだ。



久々に会うし、お昼ごはんはきっと祖父にご馳走になるし、何かおみやげでも買っていこう。

そう思いついたのは駅へ向かう途中、近所のベーカリーを通りがかったときである。

味と独創性を両立したパンが人気らしい。

だがこのお店はなんと意地悪なことに、いつもわたしの出勤後に開店し、退勤前に閉店するのだ。そして定休日までもがわたしの固定休と重なる。

そんなわけで、毎日前を通るくせしてまだ一度しか行ったことのないパン屋さんである。

でもその「一度」で買った四百円のクロックマダムは、おまけでもらったパンの耳は、びっくりするほど美味しかった。

──祖父母、朝はパン派だったな。

わたしは良いじゃん、と頬を緩めながら木製の扉を開ける。店員のおばさんは前回買いにきたときと同じ人だった。

でも品揃えは総変わりした、と言っていいほど異なっていて、あの美味しいクロックマダムも今日は置いていなかった。

なるほど、これは足繁く通いたくなるな。

とりあえず今日は時間がないのであまり迷わず、奇を衒わずに定番でいくとしよう。
わたしは綺麗にまあるく焼かれたアプリコットあんぱんをふたつ、そっと真四角のトレーにのせた。

「これ、明日の朝とかでも美味しいですか?」
「焼きたてには及びませんが、少し温めていただくとふっくら美味しくなりますよ」
「分かりました、ありがとうございます」

 

それから一時間半の道中ずっと、ひとりで後悔したもんだ。

ああ、片方きなこパンにすれば良かった。
そうしたら両方とも半分こして二種類楽しんでもらえたのに、と。

甘いし、途中で飽きたりしてこないかな。
ていうかアプリコットってどんな味だよ。

いいやそもそもご老人は朝から菓子パン丸ごと一個なんて食うのか?
パン派とはいえ、パンはパンでも朝食だったらごはん系パン食べるのでは?

こうなったら再会前にひとつを自分の胃袋へ隠して〝無かったもの〟にし、別のパン屋でなんかもう一種類買おうかな、とまで考えた。

「けどまあ、久々に会うかわいい初孫がサプライズで買ってきてくれたお土産なんて何だって嬉しいだろうよ。祖父母ってのはそういうモンさ」

頭の中でケセラセラな自分にぽんぽん、と肩を叩かれる。
それはたしかに、そうなんだけど。

わたしは膝の上のビニール袋に腕を突っ込み、あんぱんをひとつ片掌で持ってみた。
平日の空いた車内にガサガサとした雑音が響く。

……うーん、そんなに「大きい!」ってほどでもないか。

大丈夫大丈夫、と言い聞かせて気を持ち直していると、ふいにマナーモードのスマホ画面に緑色の通知が届く。

改札口に着きました。

祖母だった。お迎えの車が到着したらしい。

わたしは「あと十分で着くよ」と返して、ほんのわずかに両の口角を持ちあげた。



改札機と目と鼻の先で待っていた祖母は、少しだけ背が縮んだように思えた。

それなのに「あら、あんたまた背が伸びたの?」なんて言うので、今も昔も祖母にとってのわたしは変わらず〝成長が楽しみな孫〟なんだろう。
(ちなみに帰宅後、試しにメジャーで測ってみたけど七年前から変わってなかった)

軽く挨拶を済ませて、さっそくパン屋の袋を渡す。

「はい、これおみやげ。あんず入りのあんぱん」
「ええ~? まあ~嬉しい、ありがとうねえ」

アプリコット、と言っても伝わらない気がしたので一応日本語に変換する。
渡しただけで心底嬉しそうにしている祖母に、内心ほっとひと安心。

ふたり並んで右方向の階段を降り、やや小雨の舞う歩道へ出た。
祖母いわく祖父の待っている車は 「ナンバー42・71の臙脂色」 だそうだ。

「……あら? いないねえ」

向こう側に行ったんかしら、と言いながらわたしの手を引き歩く祖母。
でも駅前で待機していた車列の中には、 ナンバー下二桁「17」 の部分だけが覗く、深い赤色の車があった。

あれ、エンジ色って赤じゃなかった???
めっちゃそれっぽい車あるけど、ナンバー違うし違うんやろか……

そう思いながらも素直に祖母に続いて歩くが、どうにも何だかおかしい気がして振り返る。

するとエンジ色の前の車が見計らったように動いて、確認できた運転席にはそれ見たことか、案の定、やっぱり祖父が乗っていた。

「いるやん、アレやし!」
「あらッ、ほんまや~ん」
「〝71〟じゃなくて〝17〟や」

わらしはヘラヘラと自分でツボっている祖母を引き連れ、エンジ色の車に向かう。
うちのおばあちゃん、こういうところがかわいいのよね。

ドアを開けて「こんにちは」と挨拶しながら乗り込んだところ、祖父はひとこと。

「おまえは何をナンバー間違えとるねん」

ふうん、さすが金婚式済みベテラン夫婦。
分かってんだね、とひとりでちょっと感心した。

わたしの「こんにちは」に対する祖父の返事はなかったものの、まさしく〝それ〟がわたしが来たのを喜んでいる何よりの証拠だった。

うちの祖父は引くほどぶっきらぼうなのだ。



わたしたちを乗せた42・17のエンジ色は、そのまま直接くら寿司へ。
うちの母方家系はたまにこうして集まったとき、だいたい寿司を食べるのだ。

今日は愛してやまない穴子(イイほうのやつ)を二皿と、うなぎ、ほたて、鯛、はらす、いくら、えび天にぎり、炙りチーズサーモン、ねぎまぐろを食べた。

普通(?)のまぐろだかトロだかは正直違いが分からないのであまり食べない。

祖父に勧められ、珍しく鯛とかはらすも食べてみたけどやっぱりよく分からなかった。
わたしには穴子があればそれで良い。

けど久々に食べたくら寿司の穴子、なんかめちゃくちゃ美味しくなっててびっくりした。

「お寿司屋さんはいろいろあったし、きっと頑張ってるんやろうね」

言って、祖母はわたしが「美味しい!」とおかわりした穴子を「おばあちゃんも食べてみようかしら」と注文した。

 

三人でちょうど三十皿。祖父はうどんも食べていた。

五皿に一回、みんな大好き〝ビッくらポン!〟は計六回まわったわけだけど、今日は二回も当たりが出たのでラッキーだ。

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現在鬼滅コラボをやっているらしく、しのぶさんの缶バッジをお迎え。

もう片方には小さなマスキングテープが入っていた。
こっちは祖父母が「便利だから」と欲しがったのであげたんだけど。

ちらっと見えた柄が禰豆子とか善逸とかのちびキャラで、一体何に使われるのかめちゃくちゃ気になる。
「便利」ってことは手帳デコ用とかじゃないよな??
次行ったとき、風呂場の溝で炭治郎たちが汚れ防止の行進してたらどうしよう。

かくいうわたしも、この蟲柱どこにつける気なんだろう。



さて、お腹いっぱいになったらいよいよ懐かしの祖父母家へ。

残念ながら今回は日帰りだけど、「お茶くらいしていくでしょう?」ということで、道中シャトレーゼに寄った。

それぞれひとつずつのケーキを買って、久々に来た第二の実家は何も変わっていなかった。

額縁に入れ、所狭しと飾られている孫の写真。
祖母がいつも話しかけている冷蔵庫。
壁のヘンな位置に貼られた詐欺防止ポスター。
数年分の〝Happy Mather's Day〟カード。

祖父とゆっくり話をしたのは、この空間に戻ってきてから、ようやくだった。
車でも店でも、祖母のおしゃべりが止まらなかったからだ。

居間の一人掛けソファに深く腰を下ろした祖父は「ここへ座れ」と、わたしに隣のもう一台を指して言う。

観たこともないテレビのローカル番組がついた。
一緒に観るのかと思いきや、祖父はまだ買って年月が浅いと思しきスマホを取り出し、専用のタッチペンで何やら操作をしはじめる。

「おまえ、新しい住所は何や」

つけられたテレビを何とな〜く観ていたところ、ふいに訊かれた。
住所、と復唱しながら手もとを覗くと、連絡先の編集画面が開かれている。

なるほどハハーン。
おじいちゃんったら、今日わたしが来たらそれ訊こうって、朝からずっと思ってたんやな??
なんや愛らしいとこあるやん。

──とは口にせず、代わりに四月に越したばかりの新しい街の名を告げた。

ひと文字ひと文字、つたなく打ち込まれていく様子をソワソワしながら見守ったけど、案外器用に自分で使いこなしている。

わたしはその手先を見て、ふたりとももう八十いくつの歳のはずでも、きっと平均的なお年寄りよりずーっと元気でいてくれてるのを改めて実感しなおした。

白髪はあれど腰は少しも曲がっていないし、ボケてもないから孫七人の誕生日だって全部きちんと覚えてる。

大病もせず、ほんとうに介護いらずの元気なふたりだ。

けど、だからこそ。
少し切なく、ひっそり寂しくなった。

「ぼちぼち終活も考えなアカンなあ」

他愛もない話の途切れ目、祖父が何気なく言ったであろうひとことに。

ああ、終わるほうの、としか返事をできなかった。
いつのまにか頬肉の落ちた横顔は、いたって真面目で冷静だった。

統計に準じていうなら祖父はだいたい五年か六年、祖母は十年弱で寿命を迎える。
わたしの物心がついた頃から変わらず元気なようにみえても、時間はたしかに過ぎている。

背の高いテレビ台の上にはたくさんの額縁、ガラスの置物、高価そうな時計。

次にこの家を訪れたとき、この中のどれかひとつでも減っていたなら、わたしは祖父が〝終わり支度〟を静かに始めてしまったんだと、悟るだろう。



それからしばらく、なんか黙っているなと思えば、隣の祖父はいつのまにか座ったまんまで入眠していた。

いや、せっかく来たのに寝るんかーい。
昼寝の気分でなかったわたしは静かに立って、祖母のいる台所へと移動する。

「何してんの?」
「ん? これ、おじいちゃんの作ったお野菜。持って帰るでしょう?」
「あー、うん。持って帰る」
「お茄子とピーマンとトマト。食べれるか?」
「うん、食べる」

どうやら先ほどから、ルンルンと庭で収穫したり選別したり、洗ったりの用意をしてくれていたらしい。

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無農薬のお野菜。
家に冷凍の肉もあるので、明日の買い出しは荷物少なく済みそうだ。

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あとなんかひとくち水ようかんももらった。
こりゃあ止め処ない実家感。
めっちゃ美味しくてこれ書きながら五分くらいで全部なくなった。

 

それから祖父の昼寝が終わりケーキを食べるまでのあいだは、祖母が二階からよいしょこらしょと持って下りてきたアルバムを一緒に見た。

家中に飾ってある写真は全部孫のものだけど、こっちには祖父母のもう少し若い頃の写真などが丁寧に綴じられている。

二十年から三十年くらい前のものが多かった。
大半は祖父と祖母とその知り合い、たまにわたしの母や叔母もいた。

これはこういう集まりでね。
この服とバッグまだ持ってるわあ。
この人はもう亡くならはったな。
うん? これは誰や……

懐かしい自分の写真に、祖母の思い出話がぽつぽつ落ちていく。
わたしはいつものようにそれを適度に聞き流しながら、一枚一枚を結構じっくり真面目に見ていた。

薄いアルバムを三冊すべて辿り終わる頃、祖母は一緒に持ってきていた四角形のカンカンを開ける。

中には一センチほど厚さのある封筒がいくつか大事にしまわれていた。
たぶん現像したものの、アルバムには入りきらなかったやつだ。

〝現像〟なんて、思い出はもうそんな形有る残し方をされなくなった。
全部がスマホの中のデータで、そのほんの一部でしかなく、わりと粗雑に扱われる。

そもそもわたしは全然写真を撮らないから。

一枚一枚、紙芝居の物語でもめくるように「写真」で思い出をふりかえる行為が、とても重みのあるものなんだと初めて知った。

カメラロールやInstagramの投稿を、指一本ですっ飛ばして遡るのとはまったく違う。

撮って、現像して、額縁に入れたり、アルバムにしたり。
丁寧なその手間暇ひとつが、日々の密度をあたたかな色に変えていく。


全部に夢中で見入っていたけど、その中でふと、わたしは一枚の写真に心を奪われた。

「おばあちゃん、これ、」

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たまらなく、魅力的だった。

わたしはずっとこういう夜景が好きなんだ。
高層から見下ろす米粒みたいな光じゃなくて、自分の背丈と同じ場所で煌めいている、ただそこに在る街の明かりが。

「ああ、それもみんなで旅行したときのやつでしょ。日付が同じやもんね」
「これどこの?」
「たしか、ハワイかアメリカやったかなあ」

ハワイとアメリカ。島と大陸じゃ全然違う。
どうも正確な場所を知るのは無理そうだ。

代わりにわたしは、この写真をもらっていいかと祖母に尋ねた。
祖母はもちろん、と快諾した。

欲しがったのは、単に「この夜が好きだったから」だけではない。

アルバムのページも封筒の中も、もれなく全部が人物を撮った写真である中、この一枚だけが〝街〟を写した写真だからだ。

撮影者はそれほどこの夜に惹かれて、ひとり立ち止まりシャッターを切ったんだろう。

その物語が、背景が、とても綺麗だと思った。

撮ったのは祖母かもしれないし、ほかの誰かかもしれない。
それでもわたしはこの写真を見るたびきっと、'88年5月1日の祖母に思いを馳せる。

この街の真ん中にいる浮かれた誰かを。
あまりに素敵な、踊りたくなるどこかの夜を。

たとえば祖母が亡くなったとき、わたしにとってこの一枚は静かに密度を増すだろう。

たった一枚、わたしが祖母にもらった写真。

瞳も脳みそも燃え尽きた祖母が骨のカケラになったとしても、変わらないのだ。

だから思い出は有形に。

「わたしも写真、なんか印刷してみようかな」
「あら、良いんじゃない?」

祖母は笑った。
写真の頃より、ずいぶん小さくなった目で。



ところで、お年寄りの一日のタイムテーブルはとっても早い。

夕方四時に駅まで送ってもらおうか、と思っていたわたしは、期せずして二時半過ぎに祖父母の家をあとにした。

ふたりがいつも五時半に夕食をとるらしいので仕方ない。

冷蔵庫にはビールもあった。
夕食後の祖父にまた運転を頼むのはさすがに申し訳がない。

一緒に夕飯を食べない代わりに、最後はくら寿司からの帰路、シャトレーゼにて買ったケーキで優雅なティータイムを過ごした。

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瀬戸内レモンと紅茶のクレープケーキ。
祖母が淹れてくれたアイスティー。

ちょうどいい自然光がさしていて「綺麗な写真が撮れる!」とひとりで喜んだのに、祖父が無慈悲に電気をつけた。

まあこれはこれで絶妙な実家感が出ているから良しとしよう。
このテーブルマットとかやばいっしょ??

ちなみに祖父母はふたりそろって苺のショートケーキを買い、アイスコーヒーを飲んでいた。

祖父は「もっとええ苺使えや、酸っぱいなあ」と笑いながら文句を。
祖母は「最近こういうの食べたいなあと思ってたから、嬉しいわあ」と幸せそうに。

わたしもスタバの新作を飲んでから、レモンがちょっと好きになった。
少し前の自分なら絶対選ばなかったケーキ。
最近ルーティンを外れることにハマっている。

爽やかな酸味とクレープの優しい甘さで、めちゃくちゃ美味しかったです。
おそらく期間限定なので、近いうちに機会があればぜひとも食べてみてほしい。



帰りの車中、「次は泊まりでゆっくり来いや」と祖父が言った。

あまり連休をとれないので難しいけど。
でも、年末年始には十日くらいのまとまった休みがもらえるそうだ。

だから絶対来るよ、と言えば、今度は「年末まで来うへんのか」と返される。

おじいちゃん、やっぱり今日わたしが来たこと、実はめちゃくちゃ喜んでるな。

そんなに寂しそうにせんでも、年末までのあいだに一回はまた行くつもりよ。
今日かて心底「来てよかった」と思ってる。

だからまた近いうちに。
それまで変わらず、お互い元気で。

 

おじいちゃんの育てた茄子のうち一本は、翌日お昼のパスタに使われました。

ふつーに三百円くらいするモッツァを買って。
これ何気に自分で作ってみたかったんよね。

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残りの二本は、これからピーマン数個と一緒にひき肉で炒めます。
デカトマトちゃんはまだ分からん。

おみやげで買っていったパンも、美味しく食べてくれたみたいで良かったです。
またあのパン屋さん行こう。

 

 

085.
おばあちゃん家に元気な顔を見せにいく

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